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花筐/HANAGATAMI x KARATSU

花鏨 有馬 武男さん

ダンスパーティーを踊るシーン、花を添えた蓄音機。それは、唐津は厳木の有馬邸から拝借したもの。実は、この有馬邸、唐津に残る数少ない茅葺屋根を残した築200年以上の建造物で山内教授の断髪式を起こったロケ地でもあります。この有馬邸で「花鏨」の屋号で金工職人をしてらっしゃる有馬武男さんに話をお伺いしました。

Qこちらからは蓄音機をお借りしたのですよね。

Aそうです。あれは大林監督がロケ班でいらっしゃったときに「これは何?」と言って見つけられました。この蓄音機はアールデコ風の飾りがついたスピーカーが内蔵されているイギリスのデッカ製のもので、一見して蓄音機とは分からないものです。でもすごく気になられたようで、蓄音機の説明をしました。そして数日後、相田さんという大道具の方が、お借りしたいとお訪ねになりました。


Q実際の撮影をご覧になってどうでしたか?

Aびっくりしましたよ。朝が早いのですもの。朝の6時半には来られていましたよ。スタッフ、エキストラ総勢80人くらいいらっしゃった。


Qこの家もそうでうすが、古いものをすごく大事に残されている印象がありますが。

Aそのモノが持っている運命、寿命みたいなものを大事にしたいと思っています。だからあえて新しくせずに、それが使えるまでこの家にとってできるだけ自然にまかせて、修復しています。でも茅葺屋根にしても、古い家の修復にしてもそれができる大工さんが年々減ってきて、それ自体にすごく労力とお金ががかるようになってますがね(笑)。


Q映画をご覧になってのご感想は?

Aあの撮影がこういう映像になるんだと驚きました。山内教授の断髪式は、映画ではあそこで一気に髪を刈ったように見えますが、髪を少しずつ刈っては毎回メイク室に戻って撮ってと、現場ではコマ事の撮影をみていましたから。
映画はあえて「まちおこし」や「観光」を打ち出さず、純粋に芸術作品としてみたほうがいいと思います。この映画は、コマーシャルじゃないから。それが素晴らしく、結果的に唐津に思いを馳せてくれればいいじゃないですかね。


恵比須たい焼きはな田 森田 寛さん

江馬邸のダイニングルームにある、大正レトロなガラス戸。この映画のメインビジュアルの背景にもなっています。このガラス戸は唐津の刀町にある築100年以上たつ民家の一部で営業されている鯛焼き屋さん「はな田」さんから拝借したもの。当時映画の事務局長だった甲斐田が、監督の「HOUSE」の作品を観て以来、大林監督がこのガラス戸がきっと気に入るんじゃないかと思い、ロケハンで監督らと訪問したところ、その感はドンピシャ!一目で気に入られ、このガラス戸は、ダイニングルームの映画美術を考える中心になっていきました。はな田を経営されている森田寛さんにお話を伺いました。

Q大林監督がロケハンにこられて一目で気に入られたと聞いてどうですか。

A僕やおふくろが小さい頃から見てきたうちのガラス戸が映画にでるとは思ってませんでしたから、感慨深いですよね。時代的にもちょうど小説の時代ともあっていますしね。大正モダンやロマンな雰囲気がよかったんでしょうね。うちのステンドグラスのガラス戸がセットを考えていく中心になったと思うと嬉しいですよね。家族がとてもよろこんで、映画のメインビジュアルを額に入れて飾っています。


Qロケハンでご覧になった大林監督の印象は?

Aとても気さくな方でしたね。僕は、若い頃『時をかける少女』など観ていました。それらは変に商業化を目指したものではなく、自然と尾道への故郷愛が伝わってきますよね。そして、あの映画が青春の一部になった人達が尾道を訪れて・・・というのは素敵な事だと思います。


Qこの映画はこれから世界中で上映される予定です。それについて一言お願いします。

Aこの映画は唐津で撮られたものだけど、世界中の人に日本の成り立ちというか、背景というか知ってもらえるいい機会じゃないかな。今どれだけ日本が平和かもわかる映画にもなっていると思いますよ。


山内薬局 吉冨 寛さん

唐津の魂を象徴している、と大林監督に言わしめた「唐津くんち」。14台の曳山の中でも五番曳山の鯛ヤマは鵜飼の曳山として、様々なことを象徴するいわばキーパーソンならず、キーヒキヤマ。吉良の下宿先にあった、あの鯛ヤマのレプリカは、中央商店街は京町「山内薬局」の吉冨寛さんから拝借。そして、山内薬局は大林組を別の面からもサポート。それは…。

Q監督に最初に会ったのは、大林監督が、唐津くんち協力のお願いをするために監督と14台の曳山を取りまとめられている本部取締の皆様との会合でしたよね。くんち博士といわれる吉冨さんですが、最初話を聞いてどう思われましたか。


A最初は冗談じゃない!と思いましたね(笑)。決まってからも、曳山がどのように編集されるのか不安でした。


Qでも最終的には、山内薬局のイメージキャラクター(?)「鯛ヤマくん」も快くお貸しいただきましたよね。映画では、すごい活躍でしたね(笑)。

Aここは「花筐」ブースです。映画でも使われた鯛山のミニチュアの鯛ヤマ君、映画のパンフレット、そして、常盤貴子さんにお貸しした唐津焼のぐい呑みをワンセットにまとめています(笑)。


Qある用事で大林組や俳優さんたちがよくお店に来られたとか。

A漢方薬をですね。飲みすぎたり食べすぎたりした時に聞く「酒前酒後」がお気に入りでした。後は、常盤さんが水中撮影の時に、体をあったまるようにと「葛根湯」を買いに来られ、すごく役だったと言ってくれました。他にも腰に聞く漢方薬なんかも尋ねられましたね。


Q映画を見ての感想は?

Aとにかく不思議な映像でしたね。唐津浜大学予科・教室からの高島の風景…。以前唐津城の下にあって、同じ風景を見てきただろう唐津藩の藩校の流れをくむ地元県立高校が別の場所に移転して、私は「唐津は魂を捨ててしまった」と思うくらい辛い思いを感じていました。そんな中で、唐津浜大学予科・教室から見える海の風景は、唐津の魂を作ってきた人たちが学校に通い見てきた同じ風景となっていて、映画の中だけでも唐津の魂が戻ってきたように思えました。
また、これから世の中がどうなるのか分からない、平和が保てるのか先行きに不安がある時代に、いろんなメッセージを受け取ることができる映画だと思います。時代的には、私の両親が生きていた頃の時代。その時代はこんな感じだったんだろうかと、思いを馳せながら映画を観ました。


チェロ指導 深川ひろみさん

圭子の亡き夫である「良さん」を演じたのは、唐津出身でニューヨーク在住の映画評論家でアーティスト岡本太陽さん。その「良さん」はチェロを弾くシーンが役どころ。でも岡本さんはチェロを持ったことも弾いたこともない素人。そんな岡本さんに大林組から渡されたのは、チェロとバッハの無伴奏の楽譜でした。そこで、困った岡本さんは事務局の甲斐田さんに相談をして唐津でチェロを教えてくれる人を探すことに。そうして深川さんのところに連絡がきたわけですが…。

A一昨年(2016年)の10月2日に、甲斐田さんが(岡本)太陽くんを連れて「彼にチェロを教えてください」と突然いらっしゃったの。1か月ぐらいで弾けるようにしたいと。そんなこと無理ですよ。まじめにやったって何年もかかるものですから。でもとにかく「格好だけでよい」ということでしたので、唐津のためにもなるし、それだったらということで引き受けました。


Qほとんど毎日のようにレッスンをされたと聞いています。
ここに去年のスケジュール手帳がありますが、太陽くんのレッスンスケジュールがびっしりなんです。1か月間で16日。この時期私も大変忙しかったんですが、空いている時間があれば彼が家にいるという状況でした。課題はバッハの「無伴奏組曲 1番のプレリュード」だったのですが、何せ彼は初心者ですよね。ですからまずチェロの抱え方、音の出し方から教えました。

A彼を教えてみていかがでしたか。
そうですね、彼は吸い取り紙みたいに技術を習得していったので、教え甲斐がありました。ここで何時間もレッスンした後に、家でもしっかり練習をしてくるんです。あと1年ぐらいやったらすごく弾けるようになるのでは?と思いました。


Q映画をご覧になられてどういう感想を持たれましたか?

A息子が映画関係の仕事をしていて、私より先に東京国際映画祭でこの映画を観ていたのですが、息子からは「すごい映画だよ、きっとすごく評価されると思うよ」と言われました。私はこれまで3回映画を観ました。観れば観るほど、細かいところに大林監督のこだわりや思いが詰まっていることが分かってきました。映画ってそういうことの積み重ねなんだなと思いました。今回私はチェロを教えるという形で映画の裏方に携わったわけですが、映画の一瞬の映像の背景には、こんなに見えない労力があって、それを支える人達がいて、そのおかげで映画はできているんだなと改めて思いました。


唐津映画製作推進委員会の辻会長奥様方

おくんち料理で、お得意様をおもてなしする京町はあきねの実家。高島政広がこの日のために伝統的なおくんち料理をこしらえてくれたのは、唐津映画製作推進委員会の辻会長の奥様とその頼もしく愉快なお仲間のご婦人たち。おくんち料理の準備の裏舞台を伺います!

Qおくんち料理は年に1回つくるだけでも大変です。ある方に、辻家でくんち料理を準備してもらうのをお願いしたことをお話したら、「おれの母ちゃんにそんなこと頼んだら殺される」って言われました(笑)。それぐらい大変なことなんだなと。

Aたしかに!こんなことしてくれるのは、辻さんところだけかも(笑)。彼女は、唐津のためにって、本当に献身的で一生懸命な方だから。


Q辻会長も奥様もご夫婦揃って献身的に唐津の文化を支えてくださっていますよね。映画の撮影用のくんち料理という事で、何か工夫された点はありますか。

A当時のことを考え、大正時代の徳利や器をいろいろ調べて用意しました。何が凄いかって、それが辻さんのお宅で全部揃っちゃうってことよね(笑)。でも、くんち料理でしょう。実際のくんちの時期と撮影が違うので、材料が揃わないものも多かった。特にあの時は台風が来ていたので、鮮魚の仕入れがとても不安でしたね。当日は、大きな鯛を仕入れることができて、鮮度にこだわって、現場でさばいて盛り付けされました。その辻さんのプロ根性ぶりに感心しきりでした。


Q映画を見ての感想は?

A料理を、もうちょっと映して欲しかったですね(笑)。

Aえーそう?私はこんなに映してもらっていいのかなって逆に思っちゃったわ。

Aエキストラの人が、料理を食べるシーンで「おいしい」と言っていたのけど、「うまか」とか「うまか」って言ってほしかったですね (笑)


Q映画自体の感想は?

A高島(映画の中では「母の島」)がよかったです。日頃から、高島っていい形をしているなと思っていたけど、改めて映画をみて台形のいい形をした島だなと思いました。絵本のように綺麗な映画だなと思いました。

Aこれまで3回観たんですが、最初は答え合わせというか、あの人どこかなとか、あのシーンはどこかなとかで忙しくって、それから2回、3回と観ていくといろんなことが見えてきてすごく面白いですね。唐津の誇れる歴史的建造物が沢山使ってあるのも良かった。


坂本家旅館

Q親子でボランティアやエキストラにご応募いただきました。献身的に映画を支えて下さいましたが、応募のきっかけ、動機は何でしたか?

A母:唐津で映画が撮影されること、そのエキストラが公募されていることを新聞かなんかで知ったのですが、息子が知的障害を持っていて、何か息子でもできることがないかなと思ってダメもとで応募しました。とりあえず行ってみよう、ダメだったら引き返そうという気持ちでした。


Q現場ではどうでしたか?特に息子さんが学友たちのエキストラで参加された宇木公民館で行われた撮影は、監督が東京の病院での検査ため不在で、現場は深夜をまわるどころか明け方までの撮影になり、大変だったと思いますが…。

A母:1つのシーンをいろんな角度で撮られるのには驚きました。カチンコが鳴らされるときには、息ができないほどの緊迫感がありました。
息子:全然つらいとは思わなかった。撮影は楽しかった。


Q坂本さんの営む旅館の横に、「味処さかもと」を経営されています。俳優さんたちもよく来て下さったとか。

Aこのお店は、出演者たちが宿泊していた国民宿舎の虹ノ松原ホテルに近く、俳優さんたちはじめ、大林組の皆さんが足を運んでくださいました。先行上映会の時も、窪塚さん、満島さんが兄弟で遊びに来てくれました。


Qお母さんは息子さんの付き添いがてら、様々な現場から裏方の炊き出しまでボランティア活動をしてくださいました。また、息子さんと一緒に最終日通行人や飲食店の客としてエキストラにも出て下さいましたね。息子さんと一緒にこの経験を通してメッセージを一言。

A母:息子は知的障害があるのですが、親子で撮影を楽しむ事ができ良い経験となりました。私達のことが、障害を持ったお子さんやご家族の方に、障害があってもいろんなことに挑戦できるんだなと思ってもらえるような勇気や希望に、少しでもつながったら嬉しいですね。


オーディションで選ばれた子役たち

Q映画に出演してみた感想は?

お参りする少年:福郷 地央くん…衣装の服の袖が短くて、昔はこんなものを着ていたのか、貧乏だったんだなと驚いた。

糸島の少年:中山 瑛太くん…撮影で肩車してもらったのが楽しかった。

愛馬を見送る少女:井上 愛茄ちゃん…馬と共演できて楽しかった。

幼少期の千歳:權藤 美月ちゃん…監督が優しかった。

唐津くんちのおじいさんの孫:寺田 侑正くん…すごい俳優さんと一緒に映画に出られたのが嬉しかった!


Qオーディションを受けようと思った理由は?

幼少期の吉良:松林 陽宏くん…僕はいつもは野球をやっているけど、一度は映画に出てみたかったから

糸島の少年:中山 瑛太くん…僕は将来俳優になりたいから!


Q最後に、映画を見た感想は?

幼少期の俊彦:佐伯 結飛くん…本当に自分が映画に出ていて。とっても嬉しかった。

愛馬を見送る少女:井上 愛茄ちゃん…月がとっても大きかった。


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